人のつながり

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 去年の11月10日(木曜)と11日の両日、公立大学協会の学長・事務局長会議が大阪で開かれ、初日はシンポジウム「震災復興とこれからの大学教育の姿」が行われた。その特別講演が山折哲雄(宗教学者・元国際日本文化研究センター所長)による「絆~いま、生きるあなたへ~」である。つづいて「震災復興支援学生ボランティア活動報告」(5つの大学の学生による)と「パネルディスカッション<震災復興とこれからの大学教育の姿>」(7公立大学の学長・副学長ほか)が行われた。

 特別講演に山折さんを提案したのは実は私である。公立大学協会の佐々木雄太副会長(愛知県立大学長)から相談を受けた。公立大学協会の会長と3名の副会長は、それぞれ大学長として多忙なうえに、会員校81を束ねる重責を担っている。すこしでも役に立てればと思った。

 山折さんとは、この数年間お会いしていないのに、快く引き受けてくださった。初対面が20年前との私のおぼろげな記憶に対して、山折さんは20数年前ときっぱり言われる。後で調べると、上山春平監修『日本文明史』(角川書店 全7巻)の最初の打合せ会でお目にかかったのが25年前である。この縁で山折さんから国際日本研究センター(京都市)の研究会に誘われた。上記のシリーズは、山折哲雄『日本文明の創造 みやびの深層』(第4巻 1990年)、加藤祐三『新しい旅立ち 地球文明の場へ』(第7巻 1992年)に結実する。

 講演で山折さんは、3人の日本人に言及しつつ論を展開した。詩人・農学者の宮澤賢治(山折さんは岩手県花巻市生まれ、賢治の生家に近い)、和辻哲郎『風土』(昭和4~5年刊)、寺田虎彦『日本人の自然観』(昭和10年刊)である。

その内容を一言で言うのは難しい。私なりに結論だけをまとめれば、寺田の著書が出た昭和10(1935)年を最後に、日本人の学問は文系と理系に分断され、精密化し、同時に矮小化した。そして「予測可能な学問」に集中し、「予測不能な学問」(ここに地震学、宗教学、歴史学等を入れる)を軽視して現代に至る。いま「予測不能な学問」を再興する時ではないか、と。

 別れぎわに山折さんが、突然、「新保先生はお元気ですか」と言われた。不意の質問に「......はあ~。在外研究先のイタリアで半年ほど英気を養われたようで、ますますお元気......」と答えたように思う。新保祐司教授(国文学科)に伝えると、「えぇ......」とこちらも妙な返事だった。

年が明けて1月、新保さんが1冊のムックを手に、「山折さんとの対談が載っています」と言う。別冊『環』誌(藤原書店)18号、生誕150年を記念する特集『内村鑑三 1861~1930』(2011年)である。3部構成で全359ページ。第Ⅰ部は「内村と近代日本」に関する論考で、「日本の近代を根源から批判し、逆説的に近代日本人の精神的支柱となった巨人の全貌」を明かすとあり、この冒頭が山折・新保対談である。つづいて両氏の論考を含め計12本の論考が並ぶ。第Ⅱ部は「内村鑑三を語る」と題し、主に明治期の論客による内村論の再録、第Ⅲ部は「内村鑑三を読む」で、内村作品の抄録である。

この企画・全体構成・筆者選定までかかわった新保さんは、21年前、『内村鑑三』(1990年、構想社)を著しており、今回は思い入れもひとしおであろう。

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