93歳の情熱

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 1月28日(土)、残雪をわたる寒風のなか、地域交流研究センター主催の第8回フォーラム「大田堯先生とともに考える "生きる"こと、"学ぶ"こと、そして未来へ」が開かれた。センター長の杉本光司教授が開催の趣旨を述べ、「残念ですが今日は大田堯先生が来られません。ご自宅で怪我をされたので、ネット中継でご自宅と結びました」と加えた。この日の朝、富士河口湖あたりを震源とするやや強い地震があって心配したが、多数の熱心な参加者を集め、無事に終了することができた。
 最初に、昨年つくられた映画「かすかな光へ」(監督:森康之、音楽:林光、詩朗読:谷川俊太郎)が上映された。93歳の大田先生を主人公とする85分のドキュメンタリーである。
 その後、ネット中継のスクリーンに登場した先生はお元気な様子で、「この映画は自伝ではなく私の夢物語」と前置きし、「未来がどうなるか」ではなく、小さい行為を通じて「未来をどうするか」を導いてくれるのが「かすかな光へ」(谷川俊太郎の詩)であると述べ、「行動的楽天家」の面目躍如、自在に話を展開された。
 ついで佐藤隆教授(初等教育学科)司会による4人の懇話会「大田堯先生をお迎えして」に、先生はスクリーン上で参加された。
 大田堯(おおたたかし)先生は、1918(大正7)年、広島県生まれ。東京帝国大学文学部教育学科卒業、東京大学教育学部教授。専攻は教育史、教育哲学である。日本教育学会会長などを歴任、日本子どもを守る会(『子どものしあわせ』誌を刊行)名誉会長。
 先生は、1977(昭和52)年~1983(昭和58)年の6年間、都留文科大学の第7代学長(4年制となった1960年から)をつとめられた。今回は本部棟の学長室にお招きする予定でいた。正確にいえば、先生が学長として着任された1977年には1号館しかなく、先生のご尽力で本部棟が完成したのが1981年、退任までの2年間、執務された思い出深い場所である。
 最初のご著書は『地域社会と教育』(1949年、金子書房)。以来、『学力とは何か』(1969年、国土社)、『教育の探究』(1973年、東京大学出版会)、『子は天からの授かりもの』(1986年、太郎次郎社)、『地球環境と子ども』(1992年、岩波書店)、『教育とは何か』(1990年、岩波新書)、『生命のきずな』(1998年、偕成社)、『かすかな光へと歩む』(2011年、一ツ橋書房)など多数にのぼる。
 私のような教育学の素人には、晩年に情熱を燃やして語られるエッセーのほうが近づきやすい。その1つ「ヒトが人となる共育学」(2006年、農山漁村文化協会『食農教育-地域と子どもの個性を伸ばす』誌)の連載エッセーである。①「<遊び>を奪われた子どもたちに何が起きているか」では、<遊び>から生まれる「内発の喜び」「自治の力」「交わりの感性」の大切さを語る。②「現代の教師に求められるのは<演出家の手腕>」など刺激的な表現が出てくる。③「学力論をこえる<個性的な学び>」は学びの本質を示す。
 子どもにとっての遊びの重要性、遊びの場(生育環境)の保護、自然保護、の3つが交差するのがフィールドミュージアム(自然博物館)構想であろう。本センターが刊行する『地域交流センター通信』の1号(2003年)はこれを主題とし、16号(2009年)の「フィールドミュージアムと暮らし・教育の思想」は大田先生の特集でもある。

 

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